プロフィール

河村 昌美 (かわむら まさみ)

カメラマン

ペット食育協会 認定上級指導士

ペット栄養管理士

愛玩動物救命士

看護師


ちょっと長いですが、自己紹介です


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思えば・・・

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思えば昔から空想好きな子供だった

本を読むのが大好きだった。

「こえだちゃんと木のおうち」で

永遠とひとりで遊んでいられた。

ボードゲームでさえ、

ひとりで遊べる子だった。

 

「役者になりたい」

と言いだしたことは

親にとっても自分自身にとっても

青天の霹靂だったが、

今思えば

予兆はあったのかもしれない。

 

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都会への憧れ

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私は

群馬県の田舎で育った。

教科書に出てきそうなくらいの

完璧な「扇状地」。

周囲が山に囲まれているため、

夜明けは遅く、日の入りは早い。

小学校、中学校の同級生は全員友達。

バスは多い時間帯で1時間に1本。

電車は走っていない。

夜8時過ぎると、信号は赤点滅。

周囲は真っ暗。

虫の声だけが響き渡る。

そんな田舎で育った私は、

外で遊ぶよりも、

家の中で空想遊びをすることが好きで

都会への憧れをものすごく抱いていた。


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声優になりたい

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そして中学の頃、

Zガンダムの再放送を見て、

ただのロボットアニメではない、

その物語の深さに感動し、

ドキドキし、

自分が

その物語の中に入っていないことを

もどかしく思い、

これを解消するためには、

「作る側」

に回らなくてはいけないと思った。

声優になりたい。

しかし、

田舎において、

そんな夢みたいなことを口に出すことは許されない。

当時は特に、そんなご時世。

親は、

当然のことながら私に、

安定した公務員になることを望んでいた。


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自分じゃない自分

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高校は、埼玉県まで通った。

今から考えれば、

そこもかなりの田舎だったが、

私からしたら、

都会へ通学している気分満載だった。

だって、埼玉県だし!

東京の隣の県じゃん!

学校帰りに、マックに寄った時は、

都会の女子校生になったようでウキウキした。

部活は地学部に入ろうと思っていた。

好きだったマンガ(「星の瞳のシルエット」~りぼん~)に憧れて。

それは、地学部が舞台だった。

しかし、

夜が遅くなるという理由で母親から却下された。

そこで、

半ばしかたなく入った部活は「演劇部」

これも、ある意味運命と呼べるのか?

中学の頃、

「声優になりたい」と漠然と思っていた私は

当然のことながら

・・・・はまった・・・。

みんなで作りだす世界が、とても楽しかった。

その世界に入り込む。

自分じゃない自分。

自分じゃない誰か。

高揚感。

現実と空想の狭間。

スポットライト。

 

「役者は3日やったらやめられない」

 

という言葉があるそうだが

まさに・・・・それ。

 

部活に明け暮れる日々。

大会にも出場し、地区大会を突破した。

 

その頃にはもう、

大学に行ったら劇研(演劇研究会)に入り、

役者になると心に決めていた。

(当時は、劇研ブーム&小劇場ブーム)

 

しかし、そんな話は、友人同士では盛りあがっても、

当然のことながら、両親には話せなかった。

 

大学に入ってしまえばこっちのもの・・・と思っていたが、

センター試験の結果はボロボロ。

私立に行くようなお金はないし、

「女は大学になんか行く必要はない」

という田舎なので、浪人もNG。

 

高校3年の1月下旬に、急遽進路を

地元の「看護学校」に切り替えた。

 

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貧乏学生

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なんだかんだ言って

看護学校時代は一番勉強したし

一番大変だったし、

辛かったし

普通の大学生のように遊ぶ暇なんて

全くなかったけれど

でも、楽しかった。

寮はかなり古い建物で2人部屋。

冬の暖房器具は各部屋にコタツが1台のみ

(のちに、電気ストーブがOKになった)

夏は、扇風機はNG。

うちわのみ。

暑いので窓を開けて寝ると

朝には窓際に網戸をすり抜けた

小さな虫がたくさん入ってきていた。

朝はまず、その虫を片付けることから始まった。

暑い日は

100円の紙パックのジュースを凍らせて

みんなでスプーンを持ち寄り

友人の部屋で順番にそれを食べた。

冷たくて、おいしかった。

そういえば、

女性用のH本の存在を知ったのも、寮生活でだった。

 

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死との直面

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はじめて担当患者さんが亡くなった時は

わけがわからなかった。

朝、病院へ行ったら・・・いなかった・・・。

突然のことに混乱した。

ここは「泣く」という場面なんだよなと

冷静に分析する自分がいた。

「死」というものはこんなにも近くにあり、

そして

こんなにも、あっけないんだと思った。

さらに、

ドラマのように、ドラマチックでもないんだと。

これが現実なんだと。

そして私は、この職業を選んだら

このことに常に向き合い、

乗り越え、

慣れてはいけないけれど、

慣れていかなくてはならないんだと。

 

生と死は、

正反対の様で、正反対ではない。

 

そう、何かに書いてあったなと、

ふと頭に浮かんできた。

 

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都会へ

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みんなが、地元の病院へ就職を決めていく中

卒業後の進路は「東京」と決めていた。

単純に「都会」に出たかった。

そしてやはり

「芝居」をしたかった。

夜勤専門看護師のある病院を調べ、

その中で

「聞いたことのある名前の病院」

を受けることにしていた。

東京の大きな病院に受かってしまえば、

まさかそこを蹴って地元に就職しろとは

両親も言わないだろう。

「もしも、この病院を蹴ったら、今後、後輩たちが受けても、

採ってくれなくなっちゃうかもしれないじゃん。

それはかわいそうでしょ」

なぁんて言葉を用意していたが

実は私の学校は私の代が最後で、

その後は閉校予定だった。

後輩、ひとりも、いないんですけどね・・・。


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看護師と役者の狭間

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運よく都会の病院に就職でき、

1年目は3交代勤務を希望し、

2年目から深夜勤専門になった。

3Kと呼ばれる職業ではあったが、

職場の雰囲気はとても良く、楽しかった。

先輩たちは厳しいけれど優しく、

患者さんも良い人ばかりだった。

本当に、働きやすい環境だった。

深夜勤専門になった年から、芝居を始めた。

夕方から稽古し、その後、夜勤で働いた。

夜勤中も、時間ができたら、

次の公演の台本を広げセリフを覚えていた。

3年働いて・・・ふと、どうしようと思った。

看護師という仕事は、

素晴らしい仕事だと自分でも思っていた。

仕事にも慣れたし、楽しい。

患者さんは大好き。

この仕事も大好き。

だからこそ、どうしようと。

いま、私にとって一番したいことは「芝居」。

看護師はあくまでも、

「生活のため」の仕事という位置づけ。

こんな、片手間みたいなことで

看護師をしていていいのか?

先輩たちや同期は、100%の力で看護師をしている。

でも、いま私は100%の力を看護師においていない。

そんなの、この仕事に対して

申し訳ないんじゃないだろうか・・・

患者さんに対して、

申し訳ないんじゃないだろうか・・・。

今なら

「それもあり」

と思える柔軟性もあるが、

当時の私は、そうは思えなかった。

変に真面目でまっすぐだった私は、

看護師を辞めることにした・・・。


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夢と現実のギャップ

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その後は、売れない役者の王道。

アルバイト三昧。

アルバイトして、

チケットノルマ払って芝居をして、

稽古して・・・・。

アルバイトして・・・。

しかし、

芝居だけで食べていけそうな気配なんて

全くなかった・・・・。

 

いつまで続けるの?

友人にもよく言われた。

 

いつまで続けるつもりなんだろう・・・。

自問自答した。

 

「役者になる」

そう決めた高校の頃思い描いていた「夢」と

「現実」のギャップ。

 

女子の賞味期限は、

男子のそれよりも早いと感じていた。

 

私は少しずつ、芝居から離れて行った・・・。

 

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シナリオの世界

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芝居と距離を置き始めた時、

それまでは、まったく興味のなかった

「書く」ということに魅かれはじめた。

役者は、作られた世界に入りこむことができる。

ライターは、その世界自体を作り出すことができる。

自分が妄想した世界を

現実のものとして観ることができる。

これは、面白いかもしれない。

しかも、書き手に年齢は関係ない。

自分さえ、若い感性を持っていれば、

例え、おばあさんになっても

書き続けることはできる。

その面白さに気がついたころ、

たまたま手伝いに行った格闘技の試合で

そこに出場していた選手と出会い、結婚した。


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重明(じゅうめい)との出会い

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結婚して1年たった頃、犬を飼うことにした。

犬を飼う=ペットショップ

としか知らなかった私たちは、

ペットショップに行き、1匹の犬に出会う。

ブラックタンのミニチュア・ピンシャー。

通称ミニピン。

その子が、先住犬の重明(じゅうめい)となった。

「食べちゃいたいほど可愛い」

という表現があるが、それを、実感した。

ホントに、

ぎゅーっとして、かぷっとしたいほど可愛い。

しかし、かぷっとしたら、

彼が痛いので、じっと我慢する。

我慢して、自分の下唇を噛む・・・。

そんなこんなで

私の下唇の内側は、常に腫れていた。

しかし、この子がまた、問題を抱えた子で・・・。

我が家に来て2日後に肉球が取れた。

耳にダニがいた。

ブツブツ、カイカイができた・・・。

病院へ行くと、アレルギーと診断され、

大量のプレドニンが処方された。

薬を飲むことで、少し痒みは落ち着くが、

すぐに再燃。

腫れる。血が出る。ブツブツ。

ふと、

このプレドニンの量、

3キロに犬には多すぎはしないだろうか・・・と疑問に思った。

看護師をしていたころ、

プレドニンを処方されている患者さんはいた。

しかし、

その患者さんが飲んでいた量よりも多い気がした。

体重は20倍近く違うのに・・・。

犬の皮膚の専門病院を調べ、

電車で片道2時間かけて受診した。

診断の結果、

重明を苦しめている原因は、アレルギーではなく、

「アカラス」という病気だとわかった。

ニキビダニという、

本来であれ何の問題を起こさないものが、

免疫力の低下などにより、

大量発生してしまう病気・・・。

プレドニンは、免疫力を下げる薬。

私は、薬を飲ませることで、

却って重明の病状を悪化させていたのだった。

帰りの電車の中で、

重明のキャリーぎゅっと抱きしめ、泣いた。

「ごめんね」

と、つぶやきながら・・・。

それから、週に1回、

電車で片道2時間の旅を続けた。

お気に入りのカフェも出来た。

はじめての海も体験した。

旅行だと思って、楽しむことにした。

毎日の薬浴は、

本人(犬)も私たちも大変だったけど、

頑張ってくれた。

嫌がりながらも、我慢していた。

その頃、

本格的に「手作り食」をスタートさせた。

苦手な薬浴を頑張っている彼の為に

私も苦手な料理をしよう。

そして、なによりも、

食べることが大好きな彼に、

世の中の美味しいものを沢山教えてあげよう。

美味しいと小躍りする姿が嬉しかった。

お薬のせいで、ハゲハゲにはなったけど、

本人(犬)の調子は良かった。

万が一、このまま毛が生えてこなくてもいいや。

つるつるしていて、気持ちいいからいいや。

そんな心配をしていたが、

しばらくすると

モデルのお仕事もできるくらいまで

綺麗に生えそろった。


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康明(こうめい)との出会い

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重明の病気がほぼ完治し、

病院通いをしなくてよくなった頃、

ツイッターで、とあるミニピンが拡散されていると、

友人から聞いた。

両前脚のないミニピン。

この子が保健所へ行ったら、

待っているのは、

最悪の結末かもしれない。

保健所で、

新しい飼い主さんを迎えることができる子はごくわずか。

もちろん、

五体満足で健康で

性格の落ち着いている子が優先される。

 

拡散されていた写真を、

夫へそのまま転送した。

すると、返事が返ってきた。

 

「この子、迎えたいの?」

 

あ・・・そうか。

私、この子を迎えたいんだ!

この子と、暮らしたいんだ。

家族にしたいんだ。

 

「うん。いい?」

 

返事は「いいよ」だった。

 

不安がなかったと言えば嘘になる。

健常犬の重明ですら、

あれだけ大変だったのに、

障害のある子を迎えることができるのか?

 

トイレは?

ごはんは?

散歩は?

お留守番は?

 

何とかなると思った。

今まで彼は、生きていた。

だからこれからも、何とかなる。

我が家に来ても、なんとかなる。

 

その子を、正式に、

我が家に迎えることにした。

名前は、

康明(こうめい)とした。

 

障害はあるけど、健康に、

そして、重明のように明るく・・・。

 

康明は、私たちの心配をよそに、

とても器用で、物覚えが良い子だった。

 

そして、重明も、

「兄ちゃん」として、

この子の面倒をよく見てくれた。

 

トイレは重明が教えてくれた。

お腹が濡れると、綺麗になめてあげた。

 

ごはんやオヤツに関しては譲れないようだが

それ以外は、優しいお兄ちゃんだった。

 

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デジイチとの出会い

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重明を迎えたころ、

この可愛さを、可愛いままに写真に残したい。

しかし、携帯カメラでは

ぶれてしまって可愛く撮れない・・・。

と常に悩んでいた。

みんなのブログには、

可愛いワンコの写真がいっぱいある。

実物は、きっとうちの子の方が、

可愛いのに決まってるのに(←ただの親バカ)。

可愛く撮れるカメラが欲しい。

可愛く撮りたい。

可愛い写真が欲しい!

そう思っていたら、

夫がカメラを買ってきてくれた。

それが、私と一眼レフカメラ(デジイチ)との出会いだった。


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もっと可愛く!

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最初は、オートで充分と思っていた。

しかし、

次第に、色々設定を触るようになり、

雑誌を見て研究したり、

友人に教えてもらったりとするようになった。

色々触り始めると

こだわりが出てくるのは常で・・・。

こだわりが出てくると、

もっと色々知りたくなる。

そんな頃、

現在のカメラの師匠の存在を知ることになる。


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師匠との出会い

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こういう写真、撮れるようになったら、

気持ち良いだろうなぁ。

素直に、そう思える写真だった。

そんな、太朗さんの写真。

タイミングが合わず、

すぐには参加できなかったものの、

太朗さんの主宰する

ローケーション撮影に特化したスクールに

参加することができた。

ここで学んだことは本当に大きい。

雑誌や教科書ではわからない

「生」の指導は心強い。

そして、

身体で覚えることが出来る幸せ。

私って、

こんな、写真、撮ることが出来るんだ。

今まで、何してたんだろう

と思えるくらい衝撃だった。


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すべてが糧になる

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学生の頃、

仲の良い友人のひとりが

「どんなに苦しいことも辛いことも、

それは神様が与えてくれた試練だから」

と言っていた。

 

私は

その言葉がすごく衝撃だったと共に、感動した。

彼女の「強さ」を知った。

 

そう。

すべては試練。

そして、試練は必ず、

乗り越えることができる。

さらに、乗り越えたあとには、

それなりの何かが待っている。

 

いろんな遠回りや回り道をしてきたけれど、

きっとこれからも、

いろんな崖や、

障害物が待っているけれど、

きっとそれは

乗り越えることが出来る。

そしてさらに、

それは私の糧となる。

血となり肉となる。

だから、このまま、

自分の思う道を進んでいこうと思う。

 

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写真への思い

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母が亡くなった時に痛切に思った。

人間の記憶はあいまいだ。

亡くなった人の顔を

どのくらい覚えていられるだろう。

でも、写真があれば、思い出すことができる。

しかも、その写真が、美しければ美しいほど、

記憶は美化されることも可能だ。

母の写真は、

たまたま伯父が撮ってくれていた

とても美しい写真だった。

葬儀に来てくれた方みんなから

「美人だね」

と言われていた。

この写真は、

きっと、

ずっとずっと、

世代が変わっても残されるだろう。

そして

きっと私の母は

「美人さん」

と死後何十年たっても言われ続けるのだ。

母もきっと、嬉しいに違いない。

写真の力は偉大だ。

たかが写真。

されど写真。

だからこそ私は

今はカメラマンとして精進していく。